徒然日記

Tsubasa Ikoma

月間アクセス数が1,000を超えて考える、数字の魔力とゲーミフィケーション

おはようございます(^人^)

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お蔭様で、ブログの月間アクセス数が、1,000を突破する事となりました!

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毎日読んで下さいまして、ありがとうございます☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

さて、アクセス数が1,000を超えたら書こうと思っていたネタがあるので、早速書いてみます。

今回、月間アクセス数が1,000という数字に到達したのですが、まず、単純な感想として、

”嬉しかった”

と、僕は感じました。

けれども、よくよく考えてみたら、少し不思議に思いませんか?

何故、僕は、”嬉しい”と感じたのでしょうか?

冷静に考えてみると、今回起こったのは、数字の桁が3桁から4桁に増えただけです。

100→1,000

と、見た目が少し変化しただけでしょう?

「1,000」と言う数字、文字のデザインが何か洗練されているわけでもありません。

たかが、数字ですよ?(笑)

何故、そんな物に、僕の感情は動かされたのでしょうか?

言ってしまうと、その答えは、”僕がそこに意味を見出したから”となります。

「1,000」と言う数字は、日常生活で至る所に見られます。

お札に書いてあるのだとしたら、それは、”1,000円”と言う紙幣の価値を意味するかもしれませんし、出席簿に「1,000」と書かれてあるなら、それは在学者数を表しているかもしれません。

同じ「1,000」と呼ばれる数字でも、状況次第で幾らでも”意味が変化する”という事が、この事から分かりますね。

ちなみに、少し話は逸れますが、こういった「記号」と「意味」の関係などを研究する学問の一つに、「近代言語学の父」と呼ばれるソシュールが産み出した、「記号論」と言う学問があります。

今回の「1,000」と言う数字(記号)とその意味(文脈)の関係については、「記号論」で扱われる「シニフィアン(意味しているもの)」と「シニフィエ(意味されているもの)」の関係が、そのまま対応されますね。

詳しく知りたい方は、是非とも自分で「記号論」の本を読んだり、ネットで調べたり、後は他人に聞いたりしてみてください♪

さて、話を元に戻しますと、

人間は、この様に、”何でもない「数字(記号)」”に勝手に意味を見出し、それによって、感情を揺さぶられる事があるのだと分かります。

子供の頃に遊んだゲームのスコアを思い出して頂けると、イメージしやすいと思いますが、かつて、ハイスコアを取る為に、何時間でもぶっ通しでゲームに没頭したと言う経験をした事がある人は、多いと思います。

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あれも、よく考えてみたら、不思議な事ですよね(笑)

ゲームの世界で起きているスコアの更新なんて、何の”意味”も無いのに、そこには僕たちは”意味”を見出し、悔しがったり楽しんだりする事が出来るのですから。

あ、でも、何の意味も無いというのは、少し言い過ぎですね。

ハイスコアを取れば、それでゲーム仲間の間で自慢する事も出来ますし、プロゲーマーであれば、それで賞金(これも「記号」ですね)を獲得して、生活費を稼ぐ事も出来ます。

ゲームももはや、一つのスポーツ(e-Sports)ですからね。

こういったゲームの仕組みを利用したシステム作りの一つに、ゲーミフィケーションと呼ばれるものがあります。

簡単に言えば、現実世界のビジネス、仕事、勉強、生活スタイルなどを、ゲームにの様に遊んで実行してみるという知恵です。

僕が書いてあるこのはてなブログなんて、まさしくゲーミフィケーションを利用しており、僕もそれを楽しんでいます。

例えば、月間アクセス数が1,000を超えたり、コメントが付いたり、スターが付いたりする、お知らせ欄にその表示が出て、その事が僕に知らされます。

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↑こんな感じです。

これって、RPGにおけるレベルアップやスキル獲得、スコアアップと全く変わらないですよね?

詳しいメカニズムは割愛しますが、人間は、こういう刺激、報酬によって喜びを感じる様に、作られていて、こういう仕組みを利用したマーケティングや娯楽施設なども、世の中にはごまんと存在するのですよ。

さて、このゲーミフィケーションなのですが、この「ゲーム」が成立する為には、幾つかの条件が存在します。

その一つに、

「やめたくなったら、何時でやめられる」

と言うものがあります。

ニンテンドーDSでもPlayStationでも、ソーシャルゲームでも、想像してもらえると分かると思いますが、あれって全部、スイッチを消せば、何時でも止められますよね?

”自分の意志によって、自由に何時でも止められる”と言うのが、ゲーミフィケーションを成り立たせる上での条件なのです。

ですので、僕も、ブログを毎日書いてありますが、いつも、

「止めたくなったら、何時でも止めて良い」

と、自分に言い聞かせています。

アクセス数だって、本来なら元々あった「ブログを書きたい」と言う動機からしたら、おまけみたいなものですし、ブログ自体、何時だってやめちまっても構わないわけです。

「書きたいから書く」と言うのが大事なのであって、アクセス数や他人の反応などを過度に気にし過ぎるのは、ナンセンスです。(もちろん、少し、いや正直に言えばかなり気にしてますよ(笑))

それを見失っていない為に、僕は、こうして、毎日、気楽に記事を更新し続ける事が出来るのです。

また、これは、ネット上に限らず、(物理的)現実世界の中でも言えます。

例えば、「お金」だって、よく考えたらただの「数字(記号)」ですし、本来なら、物々交換をスムーズに進める為に産み出した道具でしか無いはずです。

それなのに、現代では、「『お金』が『お金』を産む」と言われる様に、マネーゲームに囚われている人々が、たくさんいます。(そうじゃ無い人も、もちろん、たくさん居ますが)

本来、”手段”でしか無いはずの「お金」が、”目的”にすり替わってしまっているからです。

「止めたくても止められない」のであれば、それはもはや「ゲーム」とは呼べず、「依存(addiction)」と呼ばれます。

「お金」に対する「依存(addiction)」は、現代社会を覆う深刻な病理の一つです。

さて、長くなってしまったので、今回は、この辺にしておきます。

まとめると、

”「ゲーミフィケーション」の作法を利用して、「アクセス数(スコア)」や「お金」に拘るのも良いが、それに囚われて、本分を見失ってはいけない”

と言う事です。

では、何故、人間は時として、”手段”と”目的”を取り違えてしまうのか?どうすれば、「依存(addiction)」を乗り越える事が出来るのか?

そういった具体的な解決策などにつきましては、またの機会に書こうと思います。

何か、質問などがある方は、是非とも気楽にコメントください^_^

ではでは、今回は、この辺にて。

バイバ〜イ♪

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