徒然日記

Tsubasa Ikoma

「超ネット社会」を誇り高く生き抜く為のキーワードは、「不易流行」〜『俳聖』松尾芭蕉が遺した現代人へのメッセージ〜(下)

こんにちは、生駒です。

f:id:IKOMA_Tsubasa8:20151230121110j:plain

今回は、予告通り、昨日書いた記事の続きを書きます。

 

昨日は、松尾芭蕉が遺した「不易流行」と言う概念を軸に、「幾千年の風雪にも耐えうる普遍的な価値を持った情報」に触れ続ける事の大切さについて、書きました。

 

詳しくは、下に貼ってある昨日の記事を参照してください。

 

ikoma-tsubasa8.hatenablog.com

 

さて、今回は、

 

じゃあ具体的に、どうすれば「幾千年の風雪にも耐えうる普遍的な価値を持った情報」に触れ続ける事が出来るのよ?

 

という、肝心なところついて話をしたいと思います。

 

結論から言うと、「1次情報」にアクセスし続けることです。

 

では、ここで言う「1次情報」とは何か?

 

それは、”情報の発信者に限りなく近い所にある情報源”の事を指します。

 

どういうことかと言うと、”情報”と言うのは、何処からともなくパッとこの世に現れるものではありません。

 

必ず、”情報”には最初にそれを発信した人間の意図が介入しています。

 

例えば、「不易流行」と言う言葉は、松尾芭蕉がそれを言わなかった限り、後にも先にも世に存在することの無かった言葉だったでしょう。

 

また、『奥の細道』と言う書物が現代まで伝わっていなければ、我々はその「不易流行」と言う言葉自体、知ることがなかったでしょう。(口伝されていたりすれば別ですが)

 

更に、紆余曲折を経て「不易流行」と言う言葉を誰かがインターネット上に載せ、最後に僕がそれを引用して今度は僕が、このブログにおいて紹介をしました。

 

読者の皆さんの中には、もしかしたらこのブログを通じて初めて「不易流行」と言う言葉を知った人もいるかもしれませんね。

 

さて、ここで一つ質問です。

 

果たして、松尾芭蕉が「不易流行」と言う概念を提唱してから、今、あなたの目に『不易流行』と言う言葉、情報が入るまで、

 

一体、どれだけの人間の意図が介入しているでしょうか?

 

分かり易く、少し図式化してみましょう。

 

おそらく、「不易流行」と言う言葉がこの場に伝わるまで、以下の経緯をたどっていると思います。

 

f:id:IKOMA_Tsubasa8:20151230190023j:plain

 

ものすごく簡略化して作ったので、細かいツッコミは勘弁してください(笑)(①と②の間の歳月を考えれば、一体何人のフィルターがかかっているんだって話ですよ!)

 

 さて、仮にこの図式を正しいのだとすると、あなたの元へ「不易流行」と言う情報がたどり着くまでに、少なくとも、二人に人間の意図や解釈が介入している事が分かります。

 

その二人とは、②「匿名の誰か」と③「生駒 翼」です。

 

①から出た情報を、②の人間が解釈して、③の人間がそれを読んだ。

 

そして、③の人間が再解釈をし、ブログに書く事で、④の人、つまりあなたに”情報”が行き渡る事となりました。

 

もしも、ここで②の人間と③の人間の解釈、つまりフィルターが酷く歪んでいり、意図的に歪ませていたりしているのだとしたら、どうなるでしょうか?

 

その場合、元の①の正確な情報は、④の人間に伝わることはありません。

 

このままだと、④の人間は、②と③の人間の価値観に、③の人間は、②の人間の価値観に振り回されてしまうこととなります。

 

要するに、同じ「不易流行」と言う言葉でも、元の情報とは全然違った形の情報があなたに伝わっている可能性は十分ありえるのです。

 

と言うよりも、寧ろ、どれだけ解釈した人々(②、③)が念入りに松尾芭蕉(①)の糸を汲み取ろうとしても、時代背景も人生観も大きく異なることから、やはりそこには人為的な何かしらの意図が介入してしまうのです。

 

さて、ではこの問題を解決するには、どうすれば良いでしょうか?

 

極端解決法としては、あなた(④)が松尾芭蕉(①)になって「不易流行」を解釈することです。

 

そうすれば、あなた(④)は松尾芭蕉(①)そのものなので、解釈が歪むことなどありえません。

 

しかし、当然のことながら、時代背景も文化も違えば、そもそも人生が丸ごと異なるあなた(④)と松尾芭蕉(①)が、同じ人間(④=①)になることなどできません。

 

出来るのだとしても、せいぜいあなた(④)が江戸時代の服を着たり、芭蕉の愛用していた持ち物を使ったり、芭蕉が影響を受けた杜甫李白の歌を味わい、実際に『奥の細道』の旅に出て松尾芭蕉”成りきる”しかないでしょう。

 

不可能だとは言いませんが、普通に考えてみたらそれに掛かる労力が膨大すぎますし、何もそこまでして一般市民が「不易流行」の意味を知ろうとする必要はありません。

 

では、現実的には、どういった事が出来るのでしょうか?

 

それは、あなたが実際に『奥の細道』を読めば良いのです。

 

そこにはあなたの恣意的な解釈や意図が介入してしまうのは仕方がありませんが、「不易流行」の出典となった『奥の細道』を読めば、限りなく”澱みの少ない”情報元に触れる事ができます。

 

つまり、最初に述べた「1次情報」にアクセスすることができるのです。

 

その為、もしもこの記事を読んで松尾芭蕉や本の引用をしている苫米地英人さんなどに興味が湧いた方がいらっしゃれば、僕のこの記事で言っている事を鵜呑みにするのではなく、掲示してある参考URLや参考文献を自分で実際に読んで、考え、感じて見てください。

 

では、これを普段の生活に置き換えて見ると、どうなるでしょうか?

 

分量がそろそろ圧迫して来たので言ってしまうと、「時代を超えて読み継がれる古典・名作」を実際に手に取って自分で読んでみる事が大切になって来るのです。

 

前半の記事にも書きましたが、情報量が莫大に多い「情報化社会」であるとは言え、ほとんどの情報の質(Quality)は、大したことがありません。

 

大抵、古くから存在する既存の概念、情報の焼き回しであり、言い方を変えただけのものが多いのです。

 

情報の量(Quantity)が多いので、一見スゴそうに見えますが、実際の中身はスッカラカンで、”ハリボテのお城”でしかありません。

 

その事を意識さえすれば、情報量にビビる必要はありません。

 

世の中、根拠もなく不安や恐怖を煽ってくる様な本当に浅ましいマーケティングやキャッチコピー、メディアを通じて行われる数々の情報統制が、実際には存在しますが、そんなものは、一先ず無視しましょう。

 

その代わり、ひたすら古典・名作と呼ばれている本を読めば良いのです。

 

古典・名作と呼ばれる本は、文字通り「幾千年の風雪にも耐えうる普遍的な価値を持った情報」の塊です。

 

その情報の質(Quality)の高さは、時代のお墨付きです。

 

何よりも、古典と呼ばれる本は、ちゃんと読めば本当におもしろいのですよ。

 

 そりゃおもしろいのは当たり前です。

 

なぜなら、古典や名作と呼ばれる本は、確実に当時の時代の価値観を一変させた革命的な情報が詰まっている過激な本なのですからね♪

 

読まない訳には行きません!

 

……とか偉そうなことを言っておきながら、僕もぶっちゃけ『奥の細道』を読んでいないので、これから読みます。すみません(笑)

 

ここまでの話しをまとめると、結局のところ、

 

”自分で調べ、自分で考える”

 

と言う心構えが、大切になってくるのでしょう。

 

 その為に、できる範囲で始めれば全く構わないので、「1次情報」である文献、古典や名作を読もうとすることができるのかが、質の高い情報に触れられるかどうかの分かれ目となるのです。

 

さて、長くなってしまいましたが、最後に少しだけ、「超ネット社会」の話をさせてください。

 

「超ネット社会」とは、苫米地英人さんが自身の著書である『「超ネット社会」で絶対成功する脳と心のつくり方』の中で定義した言葉で、それによると、「超ネット社会」とは

 

”万人が情報空間に臨場感を感じることができるようになった社会”(P6)

 

を意味し、「ネット社会」「ウェブ社会」「情報化社会」とは区別して使われています。

 

「超ネット社会」で絶対成功する脳と心のつくり方

「超ネット社会」で絶対成功する脳と心のつくり方

 

 

 詳しくは述べませんが、万人が情報空間に臨場感を感じる「超ネット社会」においては、もはやインターネットやメディア(雑誌、テレビ、新聞)などは、「情報収集」の域を超えて、もはや、

 

あなたの”自我”、”信条”、”人格”、そして何よりもあなたが体感している”現実世界”を書き換えてしまう影響力がある

 

のだと言えるのです。

 

言うならば、「洗脳」のリスクがインターネット上やメディア上には多く潜んでいるのです。

 

 僕が「1次情報」に触れる事の重要性をここで書いたのは、苫米地さんの本にも書いてありますが、「超ネット社会」において、漫然と世に溢れる情報を受け取るだけでは、本当に危険すぎる世の中なのだと、僕自身、身をもってして痛感しているからです。

 

間接的にではありますが、僕はそれでつい最近、死ぬ寸前まで追い詰められたりもしました。(但し、僕の場合はまた事情がかなり特殊です)

 

僕は、「超ネット社会」の恐ろしさを身をもってして経験した。

 

更に、それに対抗するための"術(arts)"も身につけた。

 

そういった理由から、これからも、少しずつ、このブログを通じてそういった”情報”を読者の皆さんと共有していきたいと思います。

 

ではでは、最後、早足になりましたが、今回は、この辺にて。

 

バイバ~イ♪

 

 

質問・感想などは、ここのコメント欄か、このメールアドレスまで気軽にお問い合わせ下さい(^人^)→tsubasaikoma8@gmail.com

Twitterアカウント:@Tomo_Haneda03