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~生駒 翼の徒然日記~

ICU(国際基督教大学)に通う千葉県在住の教養学部生です。心理学(主に臨床心理学、コーチングなど)、太極拳、リベラルアーツなどを中心に、徒然なるままに思うことを書き連ねて往きます。Twitterアカウント:@Tomo_Haneda03

『大晦日』も『お正月』も、ただの「記号」なのだと、一歩だけ引いてみる視点を持つ事で、より毎日を愉しく過ごせるようになる!

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先ほど別の記事(正月だからといって、”明るく”なる必要は無いし、”暗い”ままで居ても良いのだと言う事について - ~生駒 翼の徒然日記~)を更新しましたが、『正月』に関連して、また別の記事を書きます。

1月1日の今日は『お正月』と呼ばれていますが、

そう呼ばれているのは何故なのでしょうか?

そこには、様々な文化や歴史が積み重なって来ているのだと思われますが、突き詰めてシンプルに考えてみると、その答えは、

”誰か”が決めたから

と、なる訳です。

それが誰なのかは僕は調べて居ないので分かりませんが、その昔、確実に、”誰か”が、1月1日を『お正月』と定めた事から、みんながその「記号」を共有する事が出来るようになり、みんながこの日に同じ様な事をするようになったのです。(もっと言えば、そもそも「1月1日」と言う年号そのものが、明治政府が導入した「グレゴリウス暦」と呼ばれる西洋の論理が元になっていて、それも”誰か”によって予め決められたものです)

これは、『お正月』に限りません。

例えば、『クリスマス』や『バレンタイン』などは、元々日本とは馴染みの無い西洋圏の行事だったのですが、デパート会社やテレビ局が国民にプレゼントやチョコといった、たくさんの物を買ってもらうように仕向けた消費戦略の末に定着したと言うのは、有名な話ですね。

『クリスマス』も『バレンタイン』も、ある日突然降って湧いて出たのでは無く、

”誰か”が意図して作った

のです。

それを理解した上で、『クリスマス』、『バレンタイン』、『お正月』と言ったイベントに臨んでみると、よりそれらのイベントを愉しめるようになります。

なぜなら、「意図」を知る事で、「主導権」を取り戻す事が出来るようになるからです。

あなたは、今、『お正月』だからと言って、

『アレをしなきゃ、コレをしなきゃ』

と、一喜一憂していませんか?

もしそうなのだとしたら、キツイ言い方にはなりますが、仕掛けた側の「意図」にまんまと「洗脳」されていますよ。

別に、”『お正月』を辞めろ!”と極端な事を言いたい訳ではありません。

けれども、自分達と同じ人間が過去に定めた「記号」でしか無いものに、人生の主導権を委ね、それに振り回されるのは危険ではないのかと、思うのです。

少なくとも、「自由」とはほど遠い。

但し、その束縛を知り、誰かの「意図」が生み出した「記号」なのだと理解した上で、『お正月』を愉しむのであれば、それは十分「自由」な選択だと思いますし、健康的だと僕は思います。

要するに、『お正月』だろうがなんだろうが、「娯楽」だと一歩引いて割り切ってしまえば、それに振り回される事無く自分で手綱を掴んだまま、楽しむこと事が出来るのです♪

タイトルに書いた「一歩だけ引いて見る視点」と言うのは、この様な行いの事を言います。

簡潔に言えば、良い意味で”テキトー”に成れば良いのです。

『お正月』。楽しみたければ楽しめば良いし、別に興味が無ければ無視しても良い。

その判断は、”自分の感情”で好きに決めて良いのですよ。

少なくとも、僕はそれでも良いのでは無いか……と、僕自身がそう思うのです。(ですので、僕の意見が正しい訳ではありません。是非ともこれを機に、自分で考えてみて下さい。)

僕も、年末年始のこの世界中の謎の一体感は割と好きではあるのですが、何も、”HAPPY NEW YEAR”の”明るさ”に無理して苦しむ必要は無い。(詳しくは、この記事にて(笑)正月だからといって、”明るく”なる必要は無いし、”暗い”ままで居ても良いのだと言う事について - ~生駒 翼の徒然日記~

自分らしい『お正月』、毎日を、好きに過ごして往きましょう♪

ではでは、今回は、この辺にて。

バイバ〜イ♫



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