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~生駒 翼の徒然日記~

ICU(国際基督教大学)に通う千葉県在住の教養学部生です。心理学(主に臨床心理学、コーチングなど)、太極拳、リベラルアーツなどを中心に、徒然なるままに思うことを書き連ねて往きます。Twitterアカウント:@Tomo_Haneda03

ブログを書いていて嬉しい瞬間の一つは過去記事が検索されて読まれること〜「機能」は永遠に生き続ける〜

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↑画像はイメージです


今朝、FBのメッセージ欄を確認してみた所、知らない方からメッセージが届いて、「何だろうな……?」と読んでみた所、どうやらこのブログの過去記事を読んで下さった方の様でした!

その方が読んで下さった記事はこちらですね。


マークシューベルト氏に関して検索をかけたらこの記事が出て来たみたいです!何とビックリ(O_O)

こういう瞬間に「ブログを書き続けて良かったな。無駄では無いんだ」と思う事があります。

あらゆる媒体に言えることかもしれませんが、ブログの良い所は、一度書いたものが後世に残るという事ですね。

少し大きな話になりますが、いずれ僕は「死」を迎え、この世から消え去ります。

どれだけこの世で超越しようが、影響力を発揮しようが、何かを手に入れようが、僕はいずれ必ず消滅します。

それはとても儚いし虚しいものだなぁと、今でも思う事はあるのですが、だからと言って悲観的になる必要はありません。

なぜなら、僕が「死」を迎えたのだとしても、僕が世に残した「機能」は受け継がれていくからです。

今回の例で言えば、僕が四ヶ月前に書いたブログが、今になって読者に検索され、読まれた事で一つの「機能」を果たしてくれました。

僕はこの間、この記事に関して言えば何もしていません。

それでも、ちゃんと「機能」が果たされているのです。

僕がいずれ「死」を迎え、居なくなるのだとしても、僕の残した「機能」は永遠であるとも言えるのです。

けれども確かに、いずれ誰にも読まれなくなり、ブログそのものの「機能」も事実上消失する事になるかもしれません。

しかし、少なからず僕のブログを読んだ人には何かしらの影響を与える事となり、その人がまた何か別の「機能」を果たす事で、形は変わっても僕の残した「機能」は受け継がれる事になるのです。

そう考えると、やはり残した「機能」は不変では無くとも永遠であると言わざるを得ません。

良し悪しはともかく、僕はそうやって「機能」が受け継がれる事に一つの達成感を覚えるのです。

よく、苫米地英人さんが「機能」「縁起」「役割」「仕事」と言った表現の仕方でこの事を本で述べていますが、僕も彼の影響、つまりは「機能」を多分に引き継いだ上でそれに同感するのです。

「存在」に拘ると、どうしても儚く、虚しくなります。

僕という「存在」も、このブログの「存在」も、いずれ必ず消え失せます。

けれども、そこで残した「機能」は少なからずずっと後世に受け継がれていきます。

僕自身、やっぱりまだまだ青二才なので、「存在」に拘る面は正直言って凄く強いのですが、それでも、時たまこうして、「大事なのは『機能』である」という事を思い出し続けたいと思います。

ともかく、まとめると、ブログを書く事も無駄では無く、ちゃんと「機能」が引き継がれているという事が分かりました。

引き続き、この世の中に残していきたい「機能」を意識しながらブログを書いていこうと思います。

ではでは、今回は、この辺にて。

バイバ〜イ♪

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