徒然日記

Tsubasa Ikoma

「終わりなき人生」の終着点は何処にあるのか?「何者」かになっても人生が無慈悲に続いていく中で……

『何者』かになっても人生が続いていくという現実があり、その事実に対する無力感に打ち拉がれた」という事について、前回の記事では書いていきました。

 

ikoma-tsubasa8.hatenablog.com

 (↑前回の記事)

 

そして、前回の最後の結論として、僕は「未来」を見る事を一旦止め、「過去」から「現在」も含めた「自分」と真に向き合っていく事になったと書きました。

 

「向き合おう」と思って向き合い始めたというよりかは、必然的に向き合わざるを得ない状況に陥った……それも偶然の出会いがきっかけとなりました(不思議ですね。これもまた「縁起」なのでしょうか?)。

 

丁度、前回書いた様な事実を知るようになった大学三年生の春のことです。

 

大学二年の終わりにメジャー(専攻)を心理学と選択した僕は、それまでに勉強し続けてきた認知科学認知心理学)の学問領域に正直、ウンザリしていました。

 

元々、ICUに入学した理由も含め、認知科学を勉強し始めた背景には認知科学者の苫米地英人の強い影響があり、将来は彼の様に「海外の超一流大学に行ってPh.Dを取ってやる……!!!」と豪語していましたが、ある時、とてもお世話になっていた方から、

 

『君は留学して学問を究めたいのか? それとも単にPh.Dという肩書が欲しいだけなのか?』

 

と、問われました。

 

その質問にショックを受けた僕は、その時に何も言い返す事が出来ませんでした。

 

しばらく経った後に、僕は、

 

「ああ、何だ。俺ってただ肩書が欲しかっただけじゃん……」

 

という事に気付きました。そうです。「苫米地英人」の様に「何者」かに成りたいという願望を抱いていただけだという事と直面化させられたのです。

 

そこからは、勉強に対するモチベーションがほとんど無くなってしまいました。当時まで、何とか睡眠時間を削ってでも勉強をし、GPA(成績)も飛びぬけて良いと言わずとも、そんなに悪くない水準(3.00以上)は最低限保っていられるように、どんなに難しい数学の授業などを取っても何とか食らいついて頑張っていたのですが、勉強する意義を見失い、アメリカの留学選考にも落ちてしまった事からGPAも意味を成さなくなり、その結果、勉強に熱を出せなくなり、見る見るうちに成績は下降していきました……

 

「これ以上、もう認知科学を勉強したくない」と言うのが僕の偽らざる本音でしたが、それでも、心理学の分野で一年後には卒業論文に取り組まなければいけないので、何とかして他に(心理学の中で)良い分野が無いかと授業を探し、まだその時履修していなかった臨床心理学(Clinical Psychology)の授業を取る事となりました。

 

そこで、後に卒業論文の指導教官となる先生と初めて出会う事となり、フロイトを源流とする精神分析や自我心理学(ego psychology)の世界に触れ始めたのですが、ある時、その授業の中で先生も所属するPAS心理教育研究所が主催する大学生向けの「インターカレッジ・キャンパス・アイデンティティ・グループ」と言うものが募集されました。

 

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アイデンティティ・グループの説明を簡単にすると、以下の引用の様になります。

 

アイデンティティ・グループとは、集団精神療法の手法を応用した心理教育プログラムで、5-8名の小集団の中で、グループ・セラピストと共にアイデンティティの探求を行います。
自分に対する期待・関心を基点に、より自分らしさを広げ、深めていけるプログラムです。(引用元:PAS心理教育研究所

 

前回の記事でも書きましたが、青年期はアイディンティの危機を迎える段階(phase)にあると言われており、特に現代の様な無茶苦茶なグローバル化、情報化の時代では猶更アイディンティ拡散の危機に直面しやすいです。そこで、訓練を受けたプロのセラピストと共にアイデンティティの探求と確立を意図的に進めていくというのがこのアイデンティティ・グループでした。

 

授業を受けていた当時、僕はそれまで言ってしまえば「『心』は存在しない。全ては『関数』である」と、機能主義(functionalism)で「心」を捉える認知科学に傾倒していた為、まだ精神分析や自我心理学、心理療法(psychotherapy)に対して非常に懐疑的だったのですが、何だかすごくそれに惹かれるものがあり、思い切って飛び込んでそのアイデンティティ・グループに参加する事にしました。

 

そこでの内容、どんな事が行われたかについては、極めて厳格な守秘義務が課せられている為、ここでは詳しく書けません(このアイデンティティ・グループの情報そのものも、問題があればすぐ様、削除します)。

 

一言だけ言うならば、文字通り己のアイディンティティと向き合ったのですが、その結果、僕は、自分は無意識の内に、強烈な「死の恐怖」を抱えているという事に気付く事となりました。

 

他にも、「承認欲求」や「表現欲求」、「成長意欲」など、様々なものが眠っているという事などにも気付いたのですが、何よりも大きかったのがこの、「死の恐怖」でした。

 

その事については……本当にシビアな問題で、僕も書くとしたら命懸けで書く事になるので、また改めて別の機会に深掘りしていきますが、一つだけそれについて説明するなら、それは僕の幼少期に過ごした環境が関係ある言えます。

 

過去にも言った事がありますが、僕は帰国子女です。3歳~10歳までの7年間、僕は父親の仕事の都合でシンガポール、インド(ニューデリー)、スリランカコロンボ)と主に発展途上国の海外三ヶ国に住んでおり、それぞれの日本人学校を転々としながら過ごしてきました。

 

そして、シンガポールは違いますが、インドやスリランカ、特にインドに居た頃なのですが、僕は貧困テロ差別というものを間近に見ながら育っていきました。

 

そして何よりも、インドの首都ニューデリーの町並みには、日常的に“死”が生活の傍らに横たわっていました。

 

この経験について書くのは、今回はこの辺までにしておきます。深掘りはまた別の機会に(書いていると本当にシンドくなって来るので)。

 

ともかく、おそらく自分は普通に日本で産まれて日本で育って来た人と比べて、“死”に対するリアリティが圧倒的に違うのだと、自分を特別視するでもなく客観的に捉えられる様になりました。そして、自分はその事に対し、酷く恐怖しているという事を知りました(正確では無いかもしれませんが、タナトフォビア(別名『死恐怖症』)などとも呼ばれていますね)。

 

さて、前回の記事で僕は、「終わりなき日常」「終わりなきゴール」「終わりなき人生」などと、繰り返し「終わりなき~」という言葉を使っていました。

 

けれども、本当はこれは全て間違いであると言えます。なぜなら、真実は、

 

「『終わりなき~』なんてものは存在しない。何故なら、誰しもが必ず『死』と言う『終わり』をいつか迎える事となるから」

 

と言う事が、正しいからです。

 

その事実を誰よりもよく自分は知っていたからこそ、何とかして、自分はそこから逃れたかった……!のだと思います。

 

「(目標やゴールを目指す事で)『何か』から逃げ続けている」と、前回の記事で言った「何か」の正体とは、「死の恐怖」の事でした。

 

正確に言えば、「死の恐怖」だけではありません。「劣等感」や「(将来への)不安」、「コンプレックス」や「寂しさ」など、そうした「負の感情」全般から逃げおおせる「何か」が欲しかったのだと思います。全てを救済してくれる「何か」……メシア(救世主)願望に近いです。

 

その後、僕は本当の意味で「人生」とは何か?「この世」とは何か?と言う問いと、等身大の自分を持ってして向き合い始める事が出来た気がします。

 

諸行無常の世の中と言うのは正に本当の事で、如何なるものも永続的に続くものは存在しない。言ってしまえば過ぎ去っていく「今、この瞬間」を一瞬、一瞬、大切にしながら生きるしかない。

 

その事を、強く意識し始めました。

 

けれども、そこから本格的に、積極的に「生きる」と言う選択が出来るようになるまでには、また、1~2年以上の長い時間が掛かりました。

 

では、「死」からは逃れられない、「終わり」からは逃れられないと知った「生駒 翼」は、それから如何にして人生に意味を見出して生き始める様になったのか?

 

それについては、また次回の記事でお話しさせて頂く事としましょう。

 

この話は前後編で終わらせるつもりだったのですが、それに加えてもう一本、上中下、序破急と三部作にする必要が出てきてしまいましたね。

 

四部作……の可能性もあるかもしれません(笑)。

 

関係無い話ですが、明日は大学の卒業式です。

 

ハリーポッターに出てくるようなガウンと帽子を着て参加するので、気が向いたらこのブログにもその様子を載せるかもしれません。

 

それでは、また次回に!

 

今回も、最後まで読んでいただきましたありがとうございました。

 

 続き↓

ikoma-tsubasa8.hatenablog.com

 

 

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